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東京高等裁判所 平成2年(く)224号 決定

少年 N・O(昭48.3.28生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、付添人弁護士○○及び同○○連名の抗告申立書並びに同補充書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、本件非行の実態は、両親の価値観に過度に忠実で、主体的な自我の形成に比し自己規制力が偏って発達した性格の少年が、両親の願望を実現すべく一流大学合格という目標を設定し、懸命に努力したにもかかわらず、目標達成が困難であるという現実に直面したとき、一層の努力によってすべてを解決しようとした結果、過剰な自己規制力によって自分自身を追い詰め、自我の崩壊状態に陥り、無意識の欲求に支配されて衝動的に、力の弱い者に対する加虐的行動に及んだものであって、かかる非行の実態からすれば、社会内での処遇こそが適切であり、その環境も整備されているほか、被害者との間で示談も成立しているので、保護観察処分が相当であるのに、本件非行の性格や原因を見誤り、その結果、処遇の選択を誤って、少年に対し、中等少年院送致決定を言い渡した原決定の処分は著しく不当であるというのである。

一  そこで、原審記録(少年調査記録も含む。)を調査して検討するに、本件は、原決定が罪となるべき事実として摘示しているとおり、少年が平成2年7月27日から翌月2日までの短期間内に、連続して4回にわたり、通行中の女子大生1名及び女子高校生3名を認めるや、猥褻ないし姦淫の意思をもって、同女らに近付き、それぞれ原判示のような暴行を加えた上、被害者2名のスカート内に手を入れてパンティーを引き下ろしたり、乳房を弄び、あるいは陰部に触れるなどし、強いて猥褻の行為に及び、その結果、同女らに対し、それぞれ原判示のような各傷害を負わせ(原決定第一、第二記載の各事実)、更に、他の被害者2名に対しても、着用していた衣服を引きちぎり、スカート内に手を入れ、あるいはパンティーを引き下ろしたり破ったりして、その陰部に触れるなどした上、強いて姦淫しようとしたが、同女らに抵抗されたため、いずれも姦淫の目的を遂げなかったものの、そのうちの1名に対し、原判示のような傷害を負わせ、他の1名に対し、陰茎をその口に入れるなどし(原決定第三、第四記載の各事実)た事案であって、自己の性的欲望を満たすべく、予め人通りの少ない公共の遊歩道に赴き、通行中の被害者らを探して次々に襲いかかった計画的なものであり、原決定第四の非行に至っては被害者の通行を待ち伏せるなど、いずれの非行態様も極めて大胆であることはもとより、粗暴かつ執拗・悪質であって、被害者らに与えた精神的肉体的苦痛も計り知れず、その結果が余りにも重大であること、加えて、少年の非行は回を重ねるごとに危険が拡大していることが窺われる。

二  確かに、少年は、野球が好きで、高校へ進学してからも野球部に入ったが、怪我をしたため、1年生の秋には退部し、父の指導勧告に従い理科系の大学へ進学しようと考え、予備校へ通うなどして勉学に励んでみたものの、思うように学習効果が上がらず、浪人して勉強しても大学入試に合格することは無理であると思うようになり、進学に対する不安が募ったが、その不安を他に打ち明けることなく、独り焦燥するなど、本件非行当時、精神的にかなり追い詰められた状態に陥っていたことが窺われないではない。

しかしながら、関係証拠、特に少年の原審審判廷における供述によると、少年が本件非行に走った動機は、大学入試に追い詰められ、精神的重圧に耐え切れない状態に陥ったことのみによるものではなく、何をやってもうまく行かないので、鬱積していた気持を発散させるため、自分さえ良ければいいという気持になり、他人のことなど全く顧慮しないばかりか、最初の非行で解放感や快感を覚えたことから、更に本件非行を繰り返し敢行したものであることが認められ、その態様や回数等からすれば、最初はともかく、過度の精神的重圧の下で自己を見失い、衝動的に本件各非行に及んだものとは到底認め難いのであって、本件非行の動機を所論のように捉えることは相当ではない。

三  もっとも、少年は、知的水準が中の上の域にあって、能力的には恵まれており、これまで順調な成育歴をたどり、格別問題を起こすような行動をとったことがなく、非行歴も全くないこと、少年自身大学への進学を断念しておらず、本件非行により、逮捕・勾留され、更に観護措置が講じられたため、その重大性を十分認識していること、また、両親が揃っていて家庭も円満である上、両親は、少年に対する過大な期待を掛け過ぎたことを反省し、今後、少年に精神的負担を掛けないよう担当教師を交えて十分話し合いながら監督する旨述べるなど、少年の更生に熱意を示しており、また、被害者に謝罪し、一部の被害者に対しては示談金を支払い、その宥恕を得ていること、少年の通学している高校の担任教諭も少年の受験勉強に協力する旨述べていること、少年が施設に収容された場合、高校への復帰は頗る困難であることなどが窺われる。

しかしながら、他方、少年は、自主性や創造力が乏しい上、精神的重圧に対する脆さがあって、物事に対し、自分で考え、あるいは目標を設定して、自分の限界に挑戦しようとする体験を殆ど積んでいないばかりか、精神的自立や情緒面の成熟も進んでいないため、外部から強く刺激されたり、内部の情動に左右されたりすると、自己統制が出来なくなって、直接的な散発行動に出る虞もあり、必ずしも楽観を許さない状況にあること、したがって、これらの問題を改善しなければ、将来本件と同一の状況下に置かれた場合、再び非行を重ね兼ねない虞があること、また、両親は、過度に教育的なところがあって、少年の高校卒業や大学受験に拘泥し、少年が本件非行を重ねるに至ったことの本質を見定めないまま表面的な対応に終始していること、少年の通学している高校では本件を知らされておらず、担当教諭のみがその事情を承知しているだけで、表向きは少年が右膝の手術とリハビリのため長期欠席していることになっており、その対応も定まっていないことなどが窺われる。

四  所論は、原決定は、原審調査官が処遇目標としてかかげた内容、すなわち、〈1〉ありのままの自分自身を認め、〈2〉精神的に親から独立して自分の生き方を考え、〈3〉対等で円満な対人関係をもてるようにすることとした点を誤解し、その結果、少年の処遇を誤った旨主張する。

なるほど、所論が引用する家庭裁判所調査官○○作成の報告書には、少年の処遇目標として、所論が〈1〉ないし〈3〉で指摘する事項を掲げた上、少年を少年院に送致した場合、少年がこれまで築いてきた大学進学の目標や、自尊感情が崩れ、かなりのショックを受けて、ゼロから人生や社会について考えなければならず、そのためには懇切丁寧な心理的指導を必要とするが、少年は規則に従い表面的に適応するだけで、温かな情緒的対人関係をもつことを学ばずに過ごしてしまう虞があるのに対し、在宅処遇(試験観察)になった場合、これまでのレールの上で改善を図らなければならず、当面、大学受験を目標に集中し、事件を直視することを怠ってはならないことはもとより、精神的自立や情緒の開発を目標に大学受験を目指すのであるから、強力な指導と保護者の協力が長期にわたって必要となる旨の意見が記載されている。しかしながら、原審調査官自身、本件事案の重大性からすると少年院送致もやむを得ない面があること、在宅処遇になった場合、事件を直視することを怠ることにならないかという点が懸念され、また、人格的な改善がなされずにストレスが重なると、再犯しないとはいいきれない面があることを認めているのであって、必ずしも在宅処遇のみが適切の措置である旨の意見を付しているわけではない上、鑑別結果通知書によると、処遇の指針として、いかにして今回の失敗を挽回するかではなく、今回の失敗から何を学ぶかが重要であって、まず、少年自身に、これまでを振り返り、他とどう関わって来たか、自己分析させる作業が必要であり、今後の方針の決定は、それから先の問題であって、大学受験にこだわらないで選択肢を広げる姿勢が少年及び家庭の双方に望まれることなどが認められるので、原決定が処遇の目標を誤ったものとはいえない。

五  以上のような、本件非行の性質・態様、少年の性格、資質、家庭環境、高校当局の対応等の諸事情を総合考慮すると、この際、少年を施設に収容して、本件非行を直視させて内省を深めると共に、専門的な生活指導の下に、短期間集中的に矯正教育を施して、精神的自立や情緒の開発を促し、併せて資質面の改善を図り、本件非行から真に立ち直る力を付与し、もって社会に適応する能力を培わせることが肝要であると思料され、所論が指摘する高校卒業や大学進学等の点を十分斟酌しても、本件につき在宅処遇が相当であるとは考えられない。してみると、右と同旨の下に、一般短期処遇の勧告を付した上、中等少年院送致の決定を言い渡した原審の判断はやむを得ないものであって、これが著しく不当であるとはいえない。

論旨は理由がない。

よって、少年法33条1項後段、少年審判規則50条により本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 堀内信明 新田誠志)

抗告申立書

少年 N・O

右少年にかかる千葉地方裁判所平成2年少第4490号強制猥褻致傷等少年事件について左記のとおり抗告を申立てる。

付添人 ○○

同 ○○

平成2年11月26日

東京高等裁判所御中

申立ての趣旨

原裁判所が平成2年11月16日になした少年院送致処分を取り消す旨の決定を求める。

申立ての理由

原決定は、以下に記載する理由により処分が著しく不当である。

一 原決定は、本件非行を、性的欲求不満の解消を目的とする、反社会的な自我に基礎づけられた、意志的・計画的な非行の連続的発展として把え、社会と隔離しての矯正が必要として、中等少年院送致(短期処遇の意見付)の処分をなした。

しかし、本件非行の実態は、以下のとおりである。即ち、〈1〉両親の価値観に過度に忠実で、主体的な自我の形成に比して自己規制力が偏って発達した性格の少年が、〈2〉両親の願望を実現すべく「一流大学合格」という目標を設定し、懸命の努力にもかかわらず目標達成が困難であるという現実に直面した時、一層の努力によって全てを解決すべくその過剰な自己規制力によって自分自身を追い詰めていった結果、〈3〉自我の崩壊状態に陥り、無意識の欲求に支配されて衝動的に、力の弱い者に対する加虐的行動に及んだというものである。かかる本件非行の実態からすれば社会内での処遇こそが適切であり、その環境も整備されていること、さらに示談が行われていることを考慮すれば、保護観察処分が相当である。

以下その理由を詳述する。

二 本件非行の実態

1 少年の性格

(1) 少年の家庭環境、生育歴

少年の父は、高卒の学歴しかないが、○○株式会社○○営業本部副部長という地位まで出世し、努力と忍耐を重んじる堅実な価値観をもっている。少年の母も、両親が印刷工場の経営に忙しかったことから、早くから精神的に自立してしっかりした価値観を身につけている。少年の両親はそのような価値観を少年に押しつけることはなかったが、家庭の雰囲気として少年の価値観に強い影響を与えたことは疑いない。家庭は極めて円満であり、少年には非行歴はまったくなく、小学校からの通信簿を見ても、問題行動は特に見られない。

(2) 少年の野球との出会いと挫折

少年は小学校3年から野球を始め、父に鍛えられて、ピッチャーとしてその才能を発揮し、小学校5年のときにはレベルの高い千葉市の○○大会で優勝した。しかし、プレッシャーを感じるようになったのか、小学校6年ころから試合前日などに顔をしかめる癖がでるようになった。中学校でも野球部に入って活躍したが、中学3年になって肘を傷めピッチャーができなくなるという不運を味わった。しかし、少年は甲子園に出場し大学でも野球を続けていきたいという希望をもっていたため(それは父の期待でもあった)野球の名門である○○高へ進学し、野球部に入部した。少年は肩の強さと足の早さを見込まれて、セカンドのポジションでレギュラー予備軍としての扱いを受け、甲子園出場への夢を膨らませていた。ところが1年の夏に練習中に膝を傷め、それが原因で1年生の終わりには半月板損傷で手術をし、その結果、野球の猛練習に耐えられない身体となってしまい、野球部を退部した。

(3) 大学受験決意と成績の伸び悩み

このように、少年はそれまで、主体的・独立的に自己を確立していくというよりは、両親の願望を実現することによって自己のアイデンティティーを確認するといった傾向が強かったのであるが、両親が期待する野球の面で自分を伸ばしていくことができなくなってしまい、自己のアイデンティティーを喪失した。そこで、それを取り戻すために両親に気に入られそうな「一流大学進学」という課題を自分の実力を充分に考慮することなく安易に設定した。しかし、いくら勉強しても成績は上がらず、不安に苛まれながらも、努力・忍耐・自立という両親から受け継いだ価値観そのままに忠実に、一層の努力をすることによって独力で事態を打開すべきものと考え、野球で培った人一倍強い自制心によって過剰なまでに自分自身を追い詰めていき、本件非行の直前には精神的パニック状態に陥っていた。

(4) 少年と両親との内面的つながり、少年の価値観

少年の日記のなかには、「両親を尊敬する」「両親の自慢できるような子になりたい」(8月20日付け)「目標は父のようになること」「高いベッドを買ってもらって父のすごさを見せつけられた」(8月25日付け)「将来、難民救済活動をしたいが、自分は長男だし、収入が安定しない、親戚は皆いい大学に入っている」「親に喜んでもらいたい」(8月30日付け)との記載がある。

少年は両親に対して非常な一体感をもっているが、それは両親に甘えるということとは全く逆であり、両親の価値観や期待(と少年が思っているもの)に対して非常に忠実であり、甘えることを潔しとしないのであって、それゆえ目標水準を下げて志望校を変更するとか、他人の助力を得るなどの手段をとりえなかったのである。「この少年には弱音を吐ける相手が誰もいない」というのは調査官が度々指摘しているところである。

両親を尊数し両親の期待に応えようとすること自体はむしろ美点というべきものであるし、一流大学志向・金銭万能主義的という価値観の貧困さ、狭さはあるもののそれは現代社会の一般的な風潮にすぎないのであって、この少年には、いかなる意味でも反社会的な自我の形成を認めることはできない。むしろ問題は、主体的な自我の形成が充分でないまま両親や社会一般の価値観に忠実であり過ぎたという点にある。即ち、少年は小学生のころから野球を通じ両親の願望を実現することに自己のアイデンティティーを見出しそれが順調に実現されてきたし、自己を抑制する意思の強さを持っていたため、葛藤のなかで主体的な自我を形成するという経験はなかった。そのため、両親の価値観や両親の期待に忠実であり過ぎ、客観的には過大な「一流大学進学」という目標を実現できないことに自責を感じ過ぎ、人間として自然な安らぎやゆとりを求める要求を抑圧し、自らを精神的パニック状態に追い込んでしまったことにある。自己への配慮が足りなかったことはひとつの失敗であると評価することはできるが、それは社会的・道義的非難とは次元を異にするものである。

2 本件非行の衝動性

(1) 本件非行直前の状況

少年は、両親の期待に応えるものとして「一流大学進学」という課題を自己の実力を充分に考慮することなく安易に設定したが、現実は厳しく、いくら一生懸命勉強しても成績は上がらず、何年浪人しても合格は無理ではないかという不安に苛まれながら、それでも誰にも相談せずに1人で悩み苦しみ、合格するにはもっと一生懸命勉強しなければならないと自分を追い詰めていき、その結果、本件非行前には精神的に極度のパニック状態に陥っていた。即ち、「どうしても現役で合格しなければならない」「時間が足りない」と思い詰め、時間を最大限に切り詰めてとにかく一生懸命勉強することによって全てを解決しようとして、物理が苦手であることから理系から文系に志望を変更しようとしたり、塾で講義を受けるのも時間の無駄ではないかと思って塾や○○図書館で自習することにしたり、勉強の方法がよく分からないままにあれこれ方針を転換したりしながらも成果がなかなか感じられず、「時間がない」「何をやってもうまくいかない」という焦り、苦しみに苛まれていた。

(2) 本件非行の誘発

そのような状況下において、本件各非行の引き金となったのは、受験に関する日常的行動における小さな磋趺であった。すなわち、第1非行の時間帯は塾で物理の講義が行われていたが、少年は物理を苦手として文系に選択を変え、受験科目ではなくなったことからこれを欠講しており、第2非行の直前には○○図書館に勉強しに行ったが図書館が休みであり、第4非行の直前には○○に参考書を買いに行こうとしたが行けなくなった、というものである。しかも、第2非行の直前に○○図書館が休みだったというのは実は錯覚であって、職員に「今日は休みですか」と質問して不審がられていたり(E子の供述調書)、また、第4非行の直前についても「駅前に監視員がいるから自転車を置けない、だから○○に行けない」(少年の8月22日付け員面調書)という論理の脈絡は第三者の目から見ればいささか奇異であり、精神的プレッシャーが異常に増幅していたことを窺わせる。

(3) 本件非行の行為態様

そのような事情に誘発されて本件非行が行われたのであるが、第1ないし第3非行が行われた時刻はいずれも午後1時前後の白昼であり(第4非行は午後5時過ぎに行われているが、夏であればまだ明るい時刻である)、非行場所はすべて道路上ないしその傍の芝生上である。このような時刻・場所では第三者による発見や被害者の逃走の危険性が大きく、一般に強姦・猥褻事犯で選定される時刻・場所とは異なっている。

次に、各行為の具体的態様及びその展開を見ると、

「後ろからいきなり口を塞がれ、その場にしゃがまされてしまった。男はスカートの中に手を入れると同時に私を後ろに引き倒し、パンツに手をかけた。私は男の手を掴んだり顔を左右に振って抵抗し、口を塞いでいる手が外れた時に大声で悲鳴を上げたところ、男は走って逃げた。」(A子の司法警察員に対する供述調書)

「いきなり口を塞がれ件を引っ張られて遊歩道上に寝転ばされた。男はスカートを捲り上げパンツの上から陰部を触り、パンツのゴムに手を掛けて引き降ろそうとした。私は思いっきりの力で口を塞いでいる男の手を外し、大声で悲鳴を上げた。その時男が一瞬力を緩めたので、この時だと思い、全速力で走って逃げた。」(B子の司法警察員に対する供述調書)

「後ろからいきなり口を塞がれ自転車ごと引き倒された。さらに上半身を抱き抱えるような格好で草むらに引きずり込まれ、仰向けに倒された。男は上からのしかかってきて、スカートの中に手を入れてパンツを降ろそうとして、パンツが破れた。さらに陰部を触られたので男の耳を爪で握ったところ、拳骨で背中を叩かれた。そのうち、男は急に私から離れ逃げていった。理由は分からないが、人が来たから逃げたのではないかと思う。」(C子の司法警察員に対する供述調書)

というものである。いずれも被害者の不意をついて引き倒し、その場で直ちに、被害者の抵抗を受けながら陰部に触る等の猥褻行為をしているのであるが、被害者の本格的抵抗にあったり悲鳴を上げられたりして、短時間のうちに、性的欲求の満足という点では余り何もできないうちに犯行が終了しているのであって、被害者の本格的抵抗をさらに排除して猥褻・姦淫行為を遂行していこうとする強固な意思は窺われない。

(4) 本件非行の動機

少年は、当時交際中の女性がいてその女性とは性交渉を持とうと思えばいつでも持てるような状況にあったと調査官に語っており、本件非行によらずとも性的欲求を満たすことは可能であったし、少年の部屋からは性風俗誌やビデオの類は発見されなかったのであって、少年が本件非行当時、性的欲求不満の状態にあったことを窺わせる状況はない。また、本件非行を誘発したのは受験に関わる日常的行動の小さな磋趺であって、本件非行の直前に特に性欲を刺激興奮せしめる状況に際会したというわけでもない。そして、いずれの事件についても、捜査記録を見るかぎり、被害者を認めた時点で初めて犯意を発生させたとしか言えず、それも、各供述調書においても「体がムラムラとしてきた」という定型句の繰り返しでしか表現しえないものであり、本件非行の動機を性的欲求不満の解消として説明することの困難さが窺われる。

むしろ、本人の日記中の「傷実事件でもよかった」「憂さ晴らしみたいな感じだった」(10月22日付け)との記載や、「弱い者いじめみたいな感じ」と付添人に対しても語っていることから窺われるのは、力の弱い者に対する加虐的衝動ともいうべきものである。

(5) 本件非行の性格

このように性的欲求不満の解消という動機は認められず、各行為の態様は各行為とも衝動的なものであったことを裏付けている。そして、第1非行で被害者に悲鳴を上げられて失敗しているにもかかわらず、白昼の道路上という失敗の危険性を秘めた時間・場所で、口を塞いで抱きついて引き倒すという方法による、全く同じパターンの非行を機械的に反復しているに過ぎず、本人自身が次第に大胆になってきたという以外に発展的な要素は見られないのである。

右に加えて、少年の性格、非行当時の状況、少年が本件非行の直前に極度の精神的パニック状態に陥っていたこと等を併せ考えれば、本件非行は、自我の崩壊状態において、無意識の欲求に支配されて衝動的に加虐的行動に及んだものであり、かかる衝動的非行の断続的反復として見るべきである。

4回にわたり性的非行を反復し次第にその結果がエスカレートしていることだけから、本件非行をもって、性的欲求不満の解消を目的とする・反社会的な自我に基礎づけられた・意志的計画的な非行の連続的発展であると直ちに結論づけることはできないのである。

三 社会内処遇の相当性

1 社会内処遇の必要性

本件非行の真の原因を、主体的な自我の発達の遅れと両親の期待や価値観への過度の忠実性という少年のパーソナリティに求めるならば、少年が再びこのような精神的パニック状態に陥らないようにするために、真に必要なことは、少年が社会の中でいろいろな人と接し、両親とは違ういろいろな生き方があることを知り、多様な生き方の選択肢があることを理解するなかで主体的な自己を確立していけるようにすることである。現在、貧困な選択肢しか有していない少年にとっては、モラトリアム期間として、大学へ進学させサークル活動やアルバイト等の学生活動を通じて、いろいろな人生を学ぶ機会を与えることが必要である。

そうだとすると、少年を少年院送致処分に付することは〈1〉少年と社会とのつながりの機会を奪うことになること、〈2〉少年院送致になれば、早晩学校に本件非行が発覚し、卒業目前にして退学を余儀無くされ、大学進学は著しく困難になること、の2つの点で妥当ではない。少年院送致の主要な目的は、少年に社会規範に従って行動する能力を身につけさせることにあるが、少年の場合むしろ自己規制力が強すぎる点が問題なのであって、少年院に入れる実益に乏しいと考える。

2 社会内処遇の可能性

少年の逮捕・勾留後、両親は夫婦及び本人と話し合って、野球・大学進学と自分たちの少年への期待が大きすぎた一方で少年がその期待に応えきれずに一人悩んでいたことに気付かなかったことが本件非行の原因になっていることを理解した。その結果、今後は無理なプレッシャーをかけず高校の先生等も交え、時間をかけて話し合い見守っていく旨上申している。両親は少年の監督を繰り返し誓約するとともに母親は本件非行当時パートに出ていたのを止めている。

担任教師も、大学受験の不安が本件非行の一因となったことを知り、受験の相談に乗るなど今後の協力を約束してくれている。

少年自身は生まれて初めての逮捕・勾留及び観護措置の体験を経て、本件非行の重大さを充分に認識し、また、この間、両親や弁護士、調査官らと話したり目記をつけたりするなかで本件非行の原因が受験勉強のプレッシャーにあることを理解するに至った。

何よりも少年が平成2年8月19日に一旦釈放されてから観護措置を受けるまでの約2ヵ月間、少年は毎日無事に学校に通学してきたことが、本人及び周囲の社会内更生の可能性を実証しているのである。

四 示談の成立状況

1 強制猥褻及び強姦の罪においては性的自由の侵害がその本質的特徴をなすものであるが、第3非行の罪名は強姦致傷であるものの姦淫行為は未遂であり、第4非行においては任意にこれを中止している。また、姦淫が性的自由の侵害の最たるものと考えられるところ、第1、第2非行においては姦淫の目的は認められないのである。

各認定事実における暴行・傷害の程度は、いずれも被害者を引き倒す暴行によって加療約1ないし2週間の傷害を負わせたというものである。

2 第1ないし第3非行は、いずれも被害者の不意をついて口を塞いで抱きつき引き倒し、被害者の抵抗を受けながら陰部に触る等の猥褻の行為をなし、被害者が悲鳴をあげたり被害者の本格的反抗によって短時間のうちに非行が終了しているのであって、執拗・残虐とまではいえない。第4非行は、比較的長時間にわたって、被害者の陰部や乳房を弄んだり、自己の陰茎を被害者の口に含ませる等相当に屈辱的なことを行わせているが、被害者の口に自己の陰茎を含ませることによって満足し姦淫行為自体には着手することなく任意に非行を終了しているのである。

3 第3非行の被害者の保護者との間では、示談が成立し、示談金55万円を支払い、被害者側から裁判所に宥恕の上申書が提出されている。第4非行の被害者の保護者との間でも示談が成立して示談金35万円を支払い、宥恕の上申書が提出されている。第1非行の被害者は、宥恕の上申書を提出してくれたが、治療費以上の慰謝料の提供を固辞したので、とりあえず治療費の実費として2000円を送金した。第2非行の被害者に対しては、謝罪の手紙を出した後電話で話をしているところである。

五 結論

以上の次第であるから、原決定は本件非行の性格を見誤り、その真の原因を見誤って、その結果、処遇の選択を誤ったものである。原決定は少年の今後60年の人生に比較して5か月間の少年院入院期間の短さを強調するけれども、単なる時間の長短の比較の問題ではないのであって、現在高校3年生で卒業を間近に控えている少年の今後の5ヶ月間が少年の人生に対して与えるであろう決定的な影響を充分に具体的に把握していないものと言わざるを得ない。

よって、原決定の中等少年院送致処分は著しく不当であり、その取消を求めて本件抗告に及んだ次第である。

以上

抗告理由補充書

少年 N・O

右少年にかかる千葉地方裁判所平成2年少第4490号強制猥褻致傷等少年事件につき、抗告理由を左のとおり補充する。

付添人 ○○

同 ○○

平成2年12月25日

東京高等裁判所 御中

一 原決定の決定理由について

1 (処遇目標の誤り)

原決定は、少年院送致処分の必要性を、少年の「精神的自立や情緒の開発についての人格上の問題」が改善されなければ将来も葛藤の高まりの中で同様に逸脱行動に走る恐れがあり、その矯正には専門的処遇が必要であること、に求めている。その「人格的問題」に対する「専門的処遇」の具体的内容は、

短期集中的な矯正教育を授け、カウンセリングを含む専門的な生活指導の中で

〈1〉 『ありのままに自分及び事件を直視させ内省を深めさせ』、

目先にこだわらず腰を据えて自己改革に努めさせ、もって

〈2〉 『主体的に自己の将来を判断でき』

〈3〉 『対等で円満な人間関係をもてるようにする』

等の社会適応能力を養わせる

というものである。

右〈1〉~〈3〉の諸点は11月16日付調査官報告書の草稿(付添人らが11月30日に記録閲覧をした際には草稿の状態であった)における処遇目標、

〈1〉ありのままの自分自身を認め、

〈2〉精神的に親から独立して自分の生き方を考え、

〈3〉対等で円満な対人関係をもてるようにすること

に依拠するものと思われる。しかし、裁判官は、調査官の述べた諸用語を引用しながら全く異なる内容を述べているのであり、調査官の「処遇目標」を誤解しているものと言わざるを得ない。

(1) 調査官は、非行原因及び少年の人格上の問題点を、次のように把握している。

即ち、

父親だけでなく母親も、幼少のころ「女の子のようだった」少年を男の子らしく自立させようと、甘えを許さずに鍛えてきた。そのため、少年は甘え感情を素直に認めることができず、甘えたいが甘えてはいけないという無意識の葛藤があり、その代償として、親の期待に応えることによってその承認と愛情を獲得しようと強く望むようになり、(男性性を誇示するイメージとしての)野球選手あるいは一流企業社員を獲得目標としていた。ところが、7月中旬の模擬テストの結果等により自分の学力を知って肥大化した自己イメージが崩れるという危機的状況を迎えた時、心的緊張状態の中で自己規制力が弱まって、抑圧された攻撃性が「甘えたくても甘えを許さない女性つまり無意識に女性的なものに対する攻撃」として爆発したのが本件非行である。「このような状況(自己イメージの崩壊による放心状態)のとき、人は慰めを求める、つまり甘え欲求が起きるのが通常である」。ところが少年は甘えることに強い葛藤をもつため、心の中で孤独感や自己卑小感を感じながら、それを訴えることができずにいた。「情緒的なものを認め、それを表現することが苦手である」ことが、少年の人格における重要な問題点である。

つまり、自分にある弱さを認識し(それをそのまま容認することとは異なる)そのうえで、自分で解決できることは自分で解決し、他人の助力が必要なときは素直にそれを受けるという対処がなされてしかるべきところ、少年の場合、「甘えてはいけない」という葛藤が自分の弱さを認識することを妨げているため、すべてを自分一人の胸の内におさめて「努力する」「我慢する」という対処しか出てこないのである。そのことは、対人関係における適応の仕方がもっぱら権威的なものに対する服従という型になってしまい、権威的関係が成立しない友人に対しては「距離をおく」対応しかできない、ということに反映している。そうだとすれば、少年にとって必要なことは〈1〉情緒的なものを素直に認め、〈2〉その代償を求めず、〈3〉権威的関係からの脱却を図るということである。

(2) 従って、調査官の処遇の目標は、次のような内容として捉えられる。即ち、

〈1〉 「ありのままの自分自身を認める」とは情緒的なものを素直に認めること、

〈2〉 「精神的に親から独立して自分の生き方を考える」とは、親の期待に応えてその愛情と承認を求めようとする代償行動を脱却し、自分なりの価値観を形成すること、

〈3〉 「対等で円満な対人関係がもてるようにする」とは、権威的関係から脱却すること

を意味する。

だからこそ、「少年院の規範に従い頑張ることで表面的に適応しても暖かで情緒的対人関係をもつことを学ばずに終わってしまう」という懸念(前記調査官報告書の草稿)も生じてくるのである。

(3) 調査官の11月15日付少年調査票が、本件非行の原因たる少年の資質上の問題点は「親にじかに欲求をぶつけたり甘えたりすることができず、親の期待に応えることによってその愛情と承認を得ようとしてきた」ことにあるから、「親の満足を追求するような価値観を根本的に考え、親子関係の在り方を見直す」ことが処遇の目標となり、従って「少年に更に規範意識を強化したり自己抑制して集団との協調性を身につけるような教育を施すことは不適当であり、むしろ少年自身の価値観や人生観を創造できるようなカウンセリング的な働きかけが必要」であるとして、在宅試験観察が相当であるとの意見を述べているのは、右のような把握を端的に示したものである。

(4) これに対して、決定書は、「いったん行動に移ると歯止めをなくして自分を統制できなくなる傾向」が少年の人格上の問題点であると捉え、〈1〉「自分を統制できない」自分と、その結果である自分の非行とを反省することを要求し、〈2〉自分を統制できない人格的な「脆さ」が家庭的に恵まれて順調に育ってきた中で形成されてきたものとみて、家庭の保護からいったん離れることを要求し、〈3〉右〈1〉〈2〉の過程で成熟した人格を形成することによって、対等で円満な対人関係を作れるようにすることを要求している。

しかし、自分を統制できなかったのは放心状態に陥っていたことの結果であって、この点をいくら反省させても真の問題を認識することはできない。放心状態にまで自分を追い詰めた真の問題とは、外圧に耐えられない脆さとか家庭的庇護への依存とかいうことではなく、「甘えてはいけない」という葛藤が精神的負担を増幅させる心理的機序なのである。しかるに裁判官は、問題を「未成熟」一般に解消してしまい、調査官報告書に見られるような踏み込んだ考察をしておらず、この少年の人格特性の決定的な要素である「甘えてはいけない」という葛藤の存在を見落としている。結局、原決定のいうところは、「甘えるな」「自立せよ」という、少年の両親の従来の教育方針の延長であるのに過ぎないのである。

(5) 調査官は11月15日付少年調査票において「在宅試験観察相当」の意見を記載していたが、裁判官は「鑑別所で実施したテスト結果及び調査官面接からみた少年の人格及び非行について」という受命の趣旨で、審判当日である11月16日付で、前記調査官報告書を作成させており、しかも付添人らが11月30日に記録閲覧をした時点においても、それは「草稿」の状態であった。

原決定においては少年の人格上の問題が重要な位置を占めているが、右の経過を見ても、その領域の専門家である調査官の報告を充分に検討されたか、疑問なしとしえないところである。

なお、調査官は右「草稿」においても意見はかえておらず、少年院送致・在宅処分のそれぞれの場合に生じうる問題点を指摘するにとどまっていた。

2 (処遇選択の結果における不当性)

(1) 原決定は、「いったん行動に移ると歯止めをなくして自分を統制できなくなる傾向」が認められ、将来も葛藤のなかで同様の逸脱行動に走る虞れがあり、専門的な処遇を要する、としている。

しかし、精神的危機状況での現象としての衝動的非行を、固着した犯罪傾向によるものと同視することはできないし、何よりも、少年の人格の可塑性を軽視しているといわざるをえない。また、専門的処遇の必要性は、直ちに自由の拘束の必要性には直結しない。端的に事実上処罰的意味をもつ自由の拘束は、本件の場合、必要がないはずである。

(2) また、原決定は、「少年の両親は表面的に高校継続にこだわっており、目先の進学等の問題に拘泥した従前の生活の継続によって、同様の葛藤を再現させる公算を否定しがたい」としている。

しかしそれは誤りである。両親は、今まで無意識のうちに少年にプレッシャーをかけていたことに気付き、進学問題についても、少年自身とも時間をかけて話し合い、少年の学力相応の大学を選択することにしているのであるから、「従前の生活の継続」ではない。両親は、自由な雰囲気と時間的余裕に恵まれた大学生活のなかで、少年が内省を深め、時間をかけて自己改革の課題に取り組んでいくことを期待しており、そのための大学進学であり高校継続であって決して「表面的に拘泥」しているのではないのである。

(3) 少年にとって少年院送致処分を受けること自体が精神的に大きな衝撃になるのであって、自尊感情に最後の打撃を与え、「ゼロから自分や人生、社会のことを考えさせる」までに追い詰めるものである。その上、善し悪しは別としても、現実には今高校を卒業できるかどうかは将来に大きく影響することが予想されるのであるから、決して「目先の問題」として片付けられる問題ではない。また、少年院関係者の努力によって教育効果が上がったとしても、そして社会の少年院に対する評価が不当に低いことは改善さるべきであるけれども、少年院出というレッテルを貼られることによって少年が受ける社会的不利益も、無視することはできない。

3 以上のとおり、原決定は、処遇の目的を取り違えて少年に極めて過酷な要求を課し、教育によって得られる利益と様々な社会的不利益との均衡を著しく失する結果となっているのである。

二 決定後の被害者慰謝のための努力

被害者C子に対しては、少年の両親が繰り返し連絡しても応答がないので、末尾添付の内容の手紙(編略)を出すとともに、慰謝料として金30万円を送付した。なお、現金書留の控えは「20万円」とあるが、現金書留では20万円までしか送付できないので、金額欄を「30万円」から「20万円」に書き換えて、実際には30万円を入れて送付したのである。

以上

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